日々霜

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フロム・ソフトウェアの「喪失感」

※エルデンリングの後半ストーリー微ネタバレ有り

 

 


エルデンリングをクリアした。後トロコンした。

 

 

してしまった。

 

 

 

 


してしまった。と言いつつ、したこと自体は凄く嬉しかったし、達成感もあった。

良いゲームほど、クリアしたいけどしたくない、と思うものだけれど、エルデンリングは正にそれで、クリアが近づく予感がすればするほどに、寂しくなった。

 


クリア・トロコン後も、すでに次の周回ではどんなビルドにしようか、何の武器を使おうか、後取り逃したアイテムの回収も~、などなど考えているので全然元気ではあるし、「全て終わった」なんて思ってもいないんだけど、どこかに残る寂しさや喪失感には、まだまだ慣れない。記憶をなくしてもう一度やり直したい気持ちもある。なんせフロムゲーにおける冒険中の高揚感や、ボスを初めて倒したときの心臓の高鳴りは、多分一生に一度の経験だから。

 


あらためてエルデンリングを振り返るのではなく、ついさっき、そもそも自分はフロム・ソフトウェアが作るゲームのどういうところが好きなんだろう、と考えたら、一言でしっくり来るものがあったのでそれだけ残しておきたい、と思い書いている。

 


展開、ゲーム性、音楽、テキスト、ビジュアル。それら全ての要素を使って、全力で「喪失感」を表現している。

それが、私が思うフロムの好きなところなのだ。

 


そして、最初の寂しい、という話に戻る。フロム・ソフトウェアの魅力は「喪失感」であり、だからこそ、クリア後の喪失感は本当に大きいのである、と納得した(むしろなんで今まで気付かなかったのかわからない)。

 


自身の目的のためにボスを倒す、というのはフロムゲーでは共通することだけれど、ボスは当然のことながら、一部例外を除き、倒せばいなくなってしまう。

フロムのNPCたちは、大抵主人公と仲良くなっても、ならなくても、何らかの「終わり」を迎える。それは失踪や死、変体など、「過去との決別」が象徴的だ。

後は、今作でも正にそうだったけれど、物語が終盤に差し掛かっていく程、フロムゲーは世界へ及ぼす影響・変化が大きい。中盤で訪れた美麗で幻想的で、密度の高いエリアの一つであった王都ローデイルは、物語の終盤、灰に埋もれて姿を変え、灰都ローデイルと名を変える。そこまで来ると、本当に自分が行っていることは正しいのかという疑念や、もう後戻りができないという決意などの感情がせめぎ合い、苦しくなってくる。とあるNPCの言っていた「自分が正しいと思うことをやり遂げたらいい」といったセリフなどがこの辺で心に効きに効き、没入は必至。エルデンリングに囚われるように、ただただラストへと向かっていく。

 


最初から最後まで、どこまでいっても「喪失感」が付きまとう、特に、クリア後は喪失感で胸がいっぱいになる。

それでも、喪失感と肩を並べるように、大きくて綿密で何事にも代えようもない体験がどっしりと腰を据える。フロム・ソフトウェアのゲームの魅力はそこにあると思っている。