日々霜

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ニホンノエイガノハナシ

日本の二本の映画の話をします。

 

しっかし去年くらいから、映画を見てる途中で2,3回は寝てしまう。多分部屋に吹き矢を構えた忍者が常駐しているんだと思う。

という蛇足も置いておいて、そんな私が映画の話をします。

 

極端なネタバレはないですが自分の印象的だった点等を表現するためのふわっとしたネタバレはあります。共感を得る気があって書くわけでもなく、好き勝手にだべります。

個人的には、「俺(あたい)の好きな映画について、このメスは一体どんなことをほざくのかしら」くらいの目線で読むのが合っていると思います。

 

なんとなく、ここ数日ずっと考えていた二本の映画。図らずも、どちらも邦画恋愛もの。

どちらにも原作があり、原作を先に読んでからの映画視聴、というのも同じ。主題歌が邦楽ロックなのも。あ、予告編動画貼ってて思ったけど会社も一緒かな?

 

 

 

ソラニン』―イタイ若者と痛い現実―

 

動画:ソラニン 予告編

 

原作は浅野いにおの漫画。映画も、かなり原作に沿ったつくり。

 

音楽で成功することを夢見るフリーター・種田(高良健吾)と、その彼女・芽衣子(宮崎あおい)。芽衣子はなんとなく入った会社でOLをするも、毎日同じように過ぎていく日々と疲れから、ふと会社を辞めてしまう。不安定な二人の同棲生活と将来……。

 

いきなり不安定なんて言ったけど、本当に不安定。何で不安定かっていうとこの二人、言ってしまえば典型的なモラトリアム・カップル。芽衣子には特にやりたいこと・目標はない。種田には音楽で成功するという夢があるが、その夢に向かって具体的な行動を起こそうとはせず、臆病だ。二人ともただ漠然と、将来に不安を感じている。

 

そんな二人はモラトリアムの代名詞である大学で知り合っており、劇中には過去を回想するシーンも多い。

軽音サークルで出会い、惹かれあう二人。仲間と馬鹿よろしくふざけあう日々。そんな青く甘酸っぱいシーンもあれば、大学生活の後半、なんとなく就職先を決めた芽衣子を、就職活動をする気すらない種田(※1)が「そんなつまらないことするために生まれてきたんじゃないでしょ?」と痛烈に批判するという穏やかじゃないシーンもある。

(※1 なんとなくながらも大学卒業するんだし自分で生計立てて生活はしていかなくては、と思った芽衣子に対し、種田はまだ好きなことを続ける気でしかないため、芽衣子に自分の主張をぶつける。この辺のモラトリアム期間の認識の差は家庭環境だと思う。結構マジで。リアルに思う)

 

自由で楽しかった過去。選択猶予期間がだんだんとなくなっていく過程。そして、今生きている現実。という三つを織り交ぜながらこの映画は進んでいく。

大学という定まりを強制しない居場所から放り出された二人は、不安定に社会を居場所なく彷徨う。唯一定まっていることと言えば、二人が二人であり、「一緒にいる」ということぐらいなのです。なんだそれ。

そしてこの物語は、その唯一定まっている二人のベクトルを、あえて別方向にずらし、終いにはあえてぶち壊すという転によって結へと向かわせるのです。なんだそれアゲイン。

 

そんな荒療治なモラトリアムの壊し方は、芽衣子を徹底的に打ちのめした結果、彼女に強い意志を生み出させる。周りに漂っていた不安定な大好きなものたちによって自分が実は安定していたことに、気付いたのだ。

そして芽衣子はそのようやく見つけたやりたいことに一心不乱に取り組み、全力で駆け抜けていく。そうして迎えたラストシーンには、晴れ晴れとした爽快感に満ちている。

さらっと書いてみたけど、なんとも不可解なことだ。だってこの映画には何一つはっきりしたことは描かれていないのに、曇った空は突然晴れ上がるのだから。

しかし、きっと雨が軽く降っている。「ソラニン」はそんな、狐の嫁入りのような映画だと思う。

 

これ、なんだかんだで劇場含め3回観た(自分にしては多い)けれど、いずれも大号泣している。そんな私もモラトリアムから抜け出せないでいるのだと思う。あーでも、荒療治で壊されたら、果たして芽衣子のようになれるだろうか……そんなことも考える。こわい。

付け足すようにぼそっと言うけど、宮崎あおいの歌うアジカンが、結構良いんです。決してうまくないけど、台風みたいな勢いがある。なんでだろう。

 

 

 

ジョゼと虎と魚たち』―ただ、恋をしたというだけ。-

 

動画:「ジョゼと虎と魚たち」」予告編

 

原作は田辺聖子の短編小説。原作とは結構異なっている。

 

雀荘でアルバイトをしながら軽く女友達と性遊びをしつつ、可愛く真面目な香苗ちゃん(上野樹里)と付き合いたいと考えたりする現代的に平凡な大学生・恒夫(妻夫木聡)が、足に障害があり、一人では歩けないジョゼ(池脇千鶴)とひょんなことから出会い、惹かれていく恋愛の話。

 

いや恋愛の話って。そして恒夫のどこが平凡なんだよちゃらいよこいつ。

みたいなツッコミが来そうなあらすじを書いてしまったけど、一見イレギュラーに見えつつも恋愛物語って言葉が実はしっくりくる映画だし、同じくこの恒夫が今のリアルな大学生に近いんだってば、とムキになってみる。

 

そう、この映画の魅力って、ただの恋愛だってことなんだと私は思う。

「大恋愛」物語ではなく、ただの恋愛。ジョゼが足に障害を持っていることなんて関係なく、ただ人と人が出会って恋をしたり、しなかったりしたというだけの、リアルな話。

何が言いたいかというと、すげー極端な大恋愛物語を創造して(想像して)ちょっとディスるけれど、「身体障害のある人間」を扱うとなると大抵は、愛おしく、悲劇的に、それでいて「そんな障害なんて関係ないのさ!!」みたいに、作者は障害をメイン軸にして書き連ねてる癖に登場人物は本末転倒なこと言ったりするでしょ?

『ジョゼ~』にはそれがない。しかし、誰かの人生・そして生活の中に存在する障害がある。二人が恋をしている事実には関係なかったけど、その過程や、環境や、結果にはあまりにも自然にぐさりと、静かに描かれ印象的に残り続けるのがこの物語における障害の描き方である。

これに関して印象的なのは、登場人物の建前と本音。福祉の仕事につきたいと笑顔で言っていた可愛くて真面目な香苗ちゃんが、恒夫が近所で噂される変わり者の障害者・ジョゼに惹かれていることに嫉妬するシーン。香苗ちゃんだけでなく、ジョゼに惹かれながらも後退りをしてしまう恒夫もそうで、皆本音と建前を無意識のうちに使い分けながら、自分を支えて生きている。そんな現実と、それらを悟って尚現実をしっかりと見つめるジョゼがいる。思わず映画を見ながら目を瞑っても、存在し続ける。

 

ここまで言っておきつつぶっちゃけるけど、この映画を魅力的に彩らせている……というか私自身を嵌らせて離してくれないこの感覚は、正直5割くらいはくるりおじさんの所為だと思っている。ED曲のみならず、劇中音楽は全てくるりが監修。

特にたまらないのは、ジョゼのテーマ。OPタイトルが出た後と、ED間際のジョゼの印象的な語りの際に流れる。人が一日に何百回と言わず考える寂しさや不安を見据えながら、それらの藻屑をこねて丸く編んだようなこのインストのために、サントラを買うか迷ってしまうくらい。

池脇千鶴の演技も良い。原作とは違う、と冒頭に書いたけど、それはストーリーの話であって、原作・映画ともにジョゼはジョゼである。そして池脇千鶴は、正にジョゼでしかないジョゼを演じあげている。

 

 

 

という話でした。寝ちゃうとかいうけど、映画はわりと好きなのでまた何か書くかもしれない。映画のみならず、なんか思考の塊を形にすることを面倒だと思わないでいたい。

昨日、このあたりまで書いて記事が全部消えてしまい、コサックダンスで高速道路でも渡ろうかなってくらいにはご乱心しましたが自己満足でまた書いてしまいました。

読んでくれてありがとうございます。読んで思ったことが怒りでも呆れでもなんでもいいので、読んでくれてありがとうございます。