日々霜

本とかゲームとか雑記とか小説とか。好き勝手。

2014年末雑記

2014年が終わるので、文章を書くリハビリも兼ね、今年の自分の話を抽象的に。

ほんっとうに個人的な雑記。ただの。人に見せられる範囲の。それにしては曝け出している気もするからちょっとどうしようもない感じの。

そう、いきなりだけど、とにかく長い文章を最近書いていないのですなんてったって。それもこれもガリットチュウが単独をやらない所為だ!!!

うそです

そう、そもそも今年は、4月には一応ながらわたくし新社会人になりまして。

9月には引っ越しして初の一人暮らしになりまして。

なんていう意味では結構環境激動な年だった。

そんな大枠から始まりつつ、とりあえず、まとまらないけどなんとなくまとめてるつもりになりながらつらつら。

【お笑い】

THE趣味、であったお笑いライブも一気に減って、最後に行ったのは8月の神保町花月公演『すぐ、そこにモンスター!』。

ガリットチュウ熊谷氏以上にうまくクズを演じることのできる芸人はいないな、という前々からの思いが確信に変わったライブでした。

ちなみにその前に行ったいぬの初単独もすごく良かったです。吠えるのが似合う二人は、まさにいぬだった。社会に適合せずに孤独を愛しつつ、しかし何処かで捨てきれず近づいてお互いに懐きあう、野良いぬ、だった。

神保町と言えば、やしろさん脚本の『時代に流されろ!』も印象的だった。

今年は告別に行っていないので、唯一触れたやしろ節になるわけだけど、自分の中でやしろさんに対してもやもやを広げていたものが、うまく整理できたような気がした。

私はやしろさんの脚本ではなく演出が好きなんだな、ということがわかったというだけなんだけど、なんだかすんごくすっきりした。

キーワードがどんなにありふれたものだとしても、それらを組み合わせて一枚の四角にするんじゃなくって、厚みを持たせたり、質感を変えたりして、魅せる人なのだと思う、やしろさんは。

あとは、賞レースでしょうか。くすぶっているやつのもんじゃ!で若手が安定勢を台風のごとく引っ掻き回したキングオブコントと、謎の間殺し魔システムワラテンボタンをアタックチャンスで押しつぶした華大さんとか、なんだか正反対のようだけど、結局のところどちらも原点回帰な感じがした。自分の。ちょっと楽しかった。やっぱりお笑いってなんかいい。なんか。ずっと理由はよくわからない、で通してしまいたい。そんな気持ちで、なんかいいんです、お笑いって。

【コミュニケーション】

今年は出会った年だった。極端に、しかし実際、100人以上がリアルな数字。

特に4月~6月。私は、コミュニケーション異常を患っていました。

異常というとおかしいのもしれないけど、12月のおとなしくしている(と思っている)私が今思っても確かに異常なのでした、私のノーガード戦法ってやつは。

ノーガード戦法とは、友人がびびっと言ってくれて、そのままびびっと響いて、完全に貰った!と思った言葉なんだけど、

普通人っていうのは新しい人と出会うとき、ジャブとガードをバランスよく使い分けながら距離を詰めていったり、詰めなくてもいいと判断したりするわけですが、私の場合は自分からジャブを受け止め続け、且つそれでいて全てに大きいジャブを返し続けるのだと。その結果懐に入り込むスピードがあり得なく早いと。それを自然に、好きでやっているのがてめえやべえよおかしいよこのやろー、と3月頃、言ってもらったわけです。

さらに加えるなら、戦法という言葉があまりにもしっくりきた。

なぜなら私は人とのコミュニケーションを完全に戦闘だと思っていたわけです、いつだって。上半期なんて、戦争だったと思う。人とどれだけうまく話して、どれだけ笑ってもらって、どれだけ話してよかったって思ってもらえるだろうか、という想像上であり創造上の戦争。

今も、結局のところやっぱりそう。ちょっと休息気味というだけ。私はコミュニケーションで戦い続ける生き物なのだと思います。

と、こんなことをまずこんなところで書いている時点でやっぱりノーガードなのかもしれないけど、そんな感じで、100人以上とハイペースで仲良くなっていきました。大人数の飲み会では一定時間で席を移動しまくって全員と話すよう心がけたり、差をつけず誰とでも。慣れない環境なのに睡眠時間が削られようが毎日飲み会なら全く疲れなかったし、なんだか吸血鬼のように生きていたような気がする。

それが結局、良いことばかりでもなくって、ようやく私は考えるに至ったのでした。

人と出会うってことには、責任が伴う。今更なことなのかもしれないけど、本当に初めて気づいたことだったのである。

気付いたといっても今も結構理解してなくて、えーーーだれとでもはなしたいしさーだれにもきょうみあるしさーーだれがおもしろいかわかんないしさーーえらべなーーいぴろぽろーんみたいに思いまくったりするんだけど、どうやら結局のところ無意識に無理してる部分があるし、見栄っ張りだし、と色々連ねていけるジレンマ。

でもやっぱり、少なくとも責任が伴う。

そして、それは初めて気づいたときには、どちらかというと私が人を傷つけるというベクトルでの話だったわけだけれども、ここ最近、自分が傷つけられるという意味でもあるのだと知り、それでまたもう一度考え直そうと思った。

つまり、私のようなコミュニケーションをやっていない人にとって私は異国人であり、話が全く通じないということをふと一気に思い知らされたのである。その結果、自分を柵にあげているのはわかりつつも、沸々と、勘違いしてんじゃねえこのカボチャが!!というすごく健康上宜しくないタイプの怒りが沸いた。

という具合。

正しいコミュニケーションなんてよくわからないし、多分ないんだと思うけど、とりあえず楽しいのが好きだから人と喋りたいのであるわけで、できるだけお互い楽しくいきたいのでもうちょっと考えた方がいい、という話。だからといって、立つ鳥跡を濁さず、とは言えない。濁してもやりたい。ああどうしよう。私は面倒な人間だ。

【伏線と秘密】

コミュニケーションの話に関わるとも関わらないとも言えないことなんだけどわける。

今年はなんだか、今まで撒いていた伏線を回収した気がした。それでいてその伏線は夜更け過ぎに秘密へと変わってしまった。

ノーガード戦法以下略からもわかるように、あまり秘密を持たない人間だったので、この変化には結構戸惑ったし進行形で戸惑っている。

特に回収した伏線の一つは、結構衝撃が大きかった。

ちょっとの間乾いていた気がした涙腺がゆるっゆるになったのも多分それの所為が多少あるし、生活変わったし、慣れないし、謎だし、それでいてはっきりできないし。と本当に抽象的で、例えすら模索している。現段階では書く必要もないのかもしれないけど、残さないと消え去ってしまう気もしているものです。

少なくとも自分が何かしら変わったということですが、変わったことは嫌でも嬉しいとも思えないけど少なくとも変化を恐れながら生きているのは相変わらず。

何故恐れるのかというと幾つか理由はあるけれど、一つ確実なのは、残したがりの自分の、表現変化としての恐さ。

前までの自分なら考えたことが、今の自分には思いつかなくなることが恐いのです。

思考の多様性。上書き保存ではなく、名前を付けて保存がしたいということ。

そんなこと意識できるかできないかわからないけど、考えていた。

最後にふと思ったけど、今年は小川洋子という存在を生で見た年でした。

それも、クラフト・エヴィング商會とのトークショー。なんて得な組み合わせ。高倍率の中、抽選が当たった私を褒めたい。

小川氏は小柄で華奢で、そこに立っているのに現実味がなかった。マイクを通して「小川洋子です」と一声を発したとき、なんでだか瞬間無意識的に涙がぼろぼろ落ちてきてどうしようかと思った。居る。

こんな出会いもまた、大学生のときに小川洋子に出会い、そのまま卒論まで書いたという伏線の回収だろうか。ここ最近軽く小川洋子アレルギー(ドン引きするくらいの神経質且つ直線的な表現の群れに吐き気)を感じてはおりますが、まだまだ読む予定です。

それでいて、読んで、書いて、考えなくっては!!という最大の来年やるべきことへと繋がってこの雑記を終えます。

昨日家の周りを夜散歩しながら多少まとめたつもりだったけど全くだった。

ブログももうちょっと頻繁に、ふつうに、レポ以外にも書いていきたいなと思っているので、暇つぶしに読んでくれる人がいたらうれしいです。

即興小説トレーニング置き場としてもちょっと考えてた時期があるんですけど、それもおいおい……

それではよいお年を。来年もばっきゃろーとか怒鳴ったり、けらけら笑ったり、しながら、生きていけたらいいですね。感情豊かに。