四年間、震災の話をしなかった。
東日本大震災から四年が経った。
こういう日に何かを述べるということを、意識的に避けてきた。(思うことはあっても、発信する必要性は自分の思いの中には見受けられなかったから。
しかし今日、会社で14:46の館内アナウンスの係になり、初めて「黙とう」と口に出して言う機会が来た。
黙とう、と言ったことがなかったし、一分間黙とうを捧げたのも初めてだった。
変に勘違いされると困るので一応、丁寧に言うと、追悼の意がないとかそういうことではなくて、人々と一緒に、決められた時間に黙とうしたことがなかった、というわけです。
後、比べるのはおかしいかもしれないけど、ツイッターなんかで、「黙とう」なんてのも勿論したことがなかった。こっちに関してはしようとか思ったことすらないんだけれど。
そんな中、自ら館内に放送を流して、黙とうをしたのは、なんだかとんでもなく不思議なことだった。
自分の、四年前の話をふらりと思い出すと、
元々、中学生の頃なんか、いつ来るかわからない地震に怯えて、薬をのまないと夜眠れないような子どもだった私は、四年前も、大学生ながら一気にその感覚が戻ってきて、不安定に落ちていく日々が続いた。
TVを見ていたら決まったCMや速報の連続に心が耐えかねて、姉のTVの録画番組を漁ったとき、梨木香歩の『西の魔女が死んだ』の映画が目に留まって。
原作は読んでたんだけど、映画は見たことないなあ、なんて思いながら観たら一気に引き込まれて、そのまま結局、六回は見続けた。
ポジティブなネガティブを読んでいただけると私の感覚が伝わるかもしれないんですが、私引き込まれた理由として、あの映画(というかストーリー)って、「死」への安心感と「生」の活気という一見両極端なベクトルを、共に含んでいるんです。
生きるって楽しいよ、そんでもって死ぬのもこわくないよ。謂わば、「自然」に生きて「自然」に死ぬことが人間そのものだよ、と、語りかけてくれる。
変な話、あの時期に「西の魔女が死んだ」を観て、本当にタイミング的にばっちりだったのだと、今は思ったりする。
私は震災の話をしなかった。四年間。
でも様々な人が色んなことを考えていたし考えている、と思います。そんな中のほんの小さな一欠片のような日記。