日々霜

本とかゲームとか雑記とか小説とか。好き勝手。

いい人じゃないので、いい人がこわい。

なんとかブログを無理やりながらも毎週書いている私を褒めてくれる人を時給で雇いたいなと思ったけれど、むしろ私がお金欲しかった。

ここんとこ思うのは、いい人ってときにこわいよねということ。理由は単純明快で、私がいい人じゃないからである。

知らない人に自然と優しくする人。親・子ども想いな人。地元想いな人。平和のために行動を起こす人。

そういう類のいい人オーラビームに触れたとき、羨望や嫉妬や劣等感が渦を巻くのを、じっと我慢する。こわくなる。

私は逆立ちしても、それどころか多分首を吊っても、一生いい人にはなれないのだと思う。

いい人には敵わない。どんなに汚いことを考え、脳内で浴びせても、こちらが汚れていくばかり。 泥たまりで一匹ではしゃぐ犬のようだ。

というかいい人ってなんなのか。人に好かれ、人を好み、差別せず、純真で、……

なんて風に、いい人ってものについて考えていると、そんなもん本当に存在するのかよ、と思ってしまうくらいには私はいい人じゃないしいい人になれない。

そこまで極端じゃなくても、でも、いい人に不意に驚かされることはよくあるので、いい人っているんだと思います。

全国のいい人に、ひたすら嫌いな物について話して欲しいなあという欲望を胸に抱いている。

でも余計落ち込むかもしれない。嫌いな物について語っても、汚くないかもしれないから。

といっても、嫌いな物を語るのは凄く面白いと思っているので、出会った人には大抵、「嫌いなものはなに?」と聞くようには心がけています。

好きな物についてうまく語れないっていう人種がいるけれど、そういう人ですら、嫌いな物については饒舌だったりする。最も素が見えるのかもしれない。

作文が書けないタイプの人に、嫌いな物っていうテーマを与えたら、もしかしてすんなり書けたりするんじゃないだろうか、と思うときもある。全国の国語教師さん、いかがでしょう。これってトリビアになりませんか。

だから悪口、というか、否定的な意見? は、自分の好きな物についてだったとしても、聞くのは好きだ。

例外として嫌なのは、その自分の嫌いな物についての意見を人に押し付けて共感を得ようとする人。または、嫌いな物の意見を歯に布着せず言うけれど、自分の好きな物の悪口を聞くのは許せない人、みたいなところです。議論ができ、対等にあるものが好きです。さらに言えば、感覚的な理由ではなく、細かい理由を述べられる人が好きです。

そういうのが面白いと思っているし、面白い悪口を言おうとするときが一番自分輝いているな、と思うことがよくある、ので、やっぱりいい人にはなれそうにない。