日々霜

本とかゲームとか雑記とか小説とか。好き勝手。

グーもチョキもパーもとりあえず友達

相性。

才能がある人には敵わないし、努力家には頭があがらないけど、『相性』はそれらに関係なくよく目の前にあらわれて、

何があってもなくても、相性によって、じゃんけんで勝てるときもあれば、腕に突然ぶつぶつができてしまったりもする。

「あの人とは絶対相性悪い。話してないけどわかる」

「なんかどんなに何回話しあっても噛み合わない。相性悪いのかな」

っていう似たようでよく勘違いする例があって、そういうのひっくるめて、出会ってしまって、気になって仕方なくて、なんだかんだ視界の隅から隣の席まで、距離関係なく一緒にいてしまえるのならそれなりに相性がいいのではないかと思う。

才能云々言ったけど、そのまんまで、仕事よりも対人関係に関係しがち? そしてでも仕事って、少なくとも企業というものに在籍する以上は人との相性が生まれてくるだろうから、やっぱり相性の大きさ。

例えば絵が下手だけど絵がやめられない、絵が好き、という絵との相性を図っている人がいたとして、紙、もしくはそれ以外の物質との相性、もしくは引き立たせる知識を持った人物がいたら、その人が一人では導き出せなかった絵の道が見つかることもあると思う。その道を歩む力を表現するとしたら努力なのかもしれないし、土台は相性、な気がするんだな……全てがなんて言えないけれど。この例は、(絵を描く行為と自分の相性×相性の良い仕事人との出会い%)-絵が下手、くらいの≒式であらわせるでしょうか。これもまた例なんですけど。

だから、アラブの石油王と私の人生相性がよければ、一年に一度会うくらいで二億円もらえる約束取り付けることも可能なのであって、それは可能性の問題なのですよね。吉瀬美智子とかじゃなくっても、私でもありえる話なのだ。相性問題のみなら。

っていうのを、暑過ぎて流石にエアコンを解禁した部屋の真ん中でサーフェイスの最近調子の悪いキーボードをうちながら、

そもそも相性って、どういうところから考え出したんだっけと思うと、勝ち負けなんだな。きったないこと。

そのきったないことを、まんま落としてもきったないのでオブラートに包むと、人と人に自分が持ってる個人的価値観を点数にしたときに、その点数を相性が簡単に凌駕していくな、と何度か思ってしまったことがある、みたいな話です。

私は性格が悪いというよりか性質が悪い、という自覚があるんですけど、さらに、流石にそれをおおっぴらにできる部分が少なくなって、毒の吐きあいよりも愛想笑いの率があがってしまったので、そんなときに日記を半強制的に書いたら、こんなことになるんだなと思います……。

最近LINE鎖国が楽です。終わり。