好きなものや気になるものについて、考えすぎるくらい考えてしまうけれど、それが弊害になって、飽きるのが早くなってしまうとか、あると思います。
そうなると、結果、そんなに好きじゃなかったんじゃないかなと前までは結論出してしまっていたんだけど、今は、それでも、確かに好きだった時間があったんだよなとできる限り認めるようになった。
ということでやたらとネタになる作家・山田悠介とか。
実は中学時代は好きで三冊くらいは連続で読みました。期間的には短かったけど確かに好きだったのだ。どういう風に好きだったのかは思い出せない。想像するに、あのときから深読みマスターだったのかもしれない。
ふっと気が変わったきっかけも思い出せないけど、私を読書好きにしたきっかけである母が、私が図書室から借りてきた山田悠介の本をひょいっと取ってさらっと読み終わり「面白くない」と言ったときのトーンとか、今はなくなってしまった前の実家の風景とかはすごーく覚えている。
後考えすぎると……とはちょっとずれるけどファッションとかってわかりやすいような!去年の自分が着てたものを今年の自分が好きとは限らない……どころか、なんでこれ着てたの!? レベルの拒絶もある。特に永遠のファッション迷い子なので、本当に本当によくある。
少なくとも大学一年生~から今年まで毎年起きている。私が活火山じゃなくて本当によかった。
ということで好きだったもの、は色々あるんだけれど、基本的に思い返すと、どうして好きだったのかわからなくなっていることが多い。
勿論、好きで最高にはまっていた漫画を読み返したりして、ああ、やっぱ好き!面白いなと振り返ることもよくある。
ただ私の中に固まっていることとして、何かを永遠にずっと好きでいるという想像がそもそもできないというのがある。
否定とかじゃなくて、想像できない。意味がわからない。どういうことなのかよくわからない。
という中で、お笑いという趣味の存在は結構大きい。小学校から今まで続いているわけなので……。
波やブームはあれど、好きだなと日々思うし。そして今後お笑いという広いくくりでは、嫌いになることはないだろう、と言える気がする。これってものすごく貴重だなあ。
お笑いの何が好きかっていうと、面白いから、という小学生みたいな答えをしちゃうくらいには単純。
というか面白い人が嫌いな人なんているのだろうか……お笑いなんて何も面白くないって思う人はいるかもしれないけど、面白いと感じられたら、好きだよなあ多分。
極論を言えば、面白い人間を見るのが好きであろうことは私にとって貴重な、永遠の好きなのかもしれない。
と思ったところで、あれ、読書って永遠の好きじゃないの? と考えたんだけど、なんか違うと思った。
「恋人にされてうれしいことは?」に「キス」って答えるくらいの違和感がある。
ていうか永遠の好きってすげーださい。二度と表現として使いたくない。
そんなこんなで気まぐれだから、ドン引きされたり呆れられたりすることも多々あるのだと思うけれど、やっぱり自分自身、その瞬間瞬間で好きだったものとか好きなものを見つめていることを忘れずに、好きの履歴が増えていけばいいなと思う。
新井浩文という人間が男としてツボ過ぎて不安になる夜の戯言。
あ、新井浩文も多分永遠に好きです……という本末転倒な軽口を叩いておわる。