日々霜

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【感情文】劇を見に行ったのだ。

土曜日、突如姉から連絡があり、義兄(長女旦那)の友人がプロデュースした演劇を見に行った。

姉も義兄も所謂業界人なので、ちょこっと有名な俳優さんが主演で、結構ちゃんとした舞台だった。

ということでその話をしたいんだけど、身ばれしたくないのであらすじはほぼ語らずして、私がそれを観てどういうことを考えたのかという意味での感想文ならぬ感情文を書こうと思う。

※なんでそんなことするのかというと、褒めるほど良かったわけじゃないし貶すほど悪かったわけでもないからで、でもチケット代払ってもらったし、普段ならどやっと一客の立場でレポとか書いてるけど今回身内の身内、みたいな立場にいるからちょっと気が引ける、ので。

 

駄目人間の話って、なんだかんだで触れる機会が多い。多分、自ら近寄っていっている。

駄目人間が集まって必死になって、でもやっぱり駄目だ、なんて言われて、皆幸せになりたかっただけなのに、なんて嘆く、みたいな。

そんなストーリーが、触れる機会が多いだけで、自分の中で定番になっちゃったりする。これって新鮮な人には新鮮なのだと思う。でも私にとってはベタだった。メッセージ性ありありで、しかもわかりやすくって、演技のうまい人が一気にそれを吐きだすから、ちょっと覚めちゃったりした。合間合間に挟まれるギャグはちょっと狭い感じがして笑う、という感じではなかったし。

 

と、か、思いつつも、嫌いではないのです。ややこしくてあれなんだけど、

 

面白いもの・興味深いものと、つまらないもの・興味がないものでわけるなら、この世は後者が大半だよなあ、と昔私はよく思っていた。

昔、なんて言いつつも私自身愚かだし根暗な捻くれものなので、未だにそんなことをふと特に深くも考えず衝動的に思うときもあるのだけど、それと同時に大事なことにたまに気付く。

それは、土曜に見た演劇がいまいちだろうと、その脚本家が思い描く面白いもの・興味深いものと、私が思う面白いもの・興味深いものはそこまで違う・遠いわけではないということ。

面白いものを作るのが下手か上手いかはあっても、実は結構、「これなんとなくいいな」「うまく言えないけどこれ表現したい」の根本は結構似てるって人が多いのかもしれないってこと。

こういうのやりたいんだろうな、が通じてくるから余計、私は穿った見方をしてしまうんだと思った。

 

感情文を書こうと思ったわりには結果感想文になったので驚いています。

今度はもっと感情文っぽいのを書きます。というか、予想では多和田葉子の回みたいになる予定だったのです。あのときはすげー適当に放っていたけどあれこそ感情文です。ああいうスタイル多分多く書きそうだな、と思ったのです。

そんな保険。でした。