日々霜

本とかゲームとか雑記とか小説とか。好き勝手。

ポジティブなネガティブ

昨日から始まった月9、「デート ~恋とはどんなものかしら~」は、正に古沢良太脚本、スピード感たっぷり。出落ちと設定落ちだよ感を醸し出しながらも、文芸を愛し現実を見ないニート文系男子と、数値と論理で現実しか見ないエリート理系女子という最初っから最後まで合いそうにないばらばらな二人の呼吸が同じベクトルへ向かい、公倍数を探すようにあってきてリズムを刻んでいくラストは気持ちがよかった。とりあえず二話もみる。

このドラマでニート文系男子・長谷川博己が連呼する「高等遊民」。夏目漱石が広めた言葉だとされている。

かくいう私も、卒業文集の一言欄に書いたことがある。「高等遊民になりてえ。後サメと戯れてえ。」と。

ということで妙な回り道をしながら、そんな痛々しい私の学生時代の話をしたいと思う。

私の中学校に、弁論大会という行事があった。

テーマは自由。自分が主張したいことを原稿用紙いっぱい(規定は忘れたが、発表でいうと5分程度。小学校まで書いていた作文とは比べ物にならない長さである)書きあげ、クラス全員一人一人発表。クラスの代表が数人ずつ選ばれ、全校生徒の前で発表、優勝を決めるというもの。

クラス30数人の発表は、細かくはまったくもって覚えていないけれど、環境問題とか両親・友達への感謝とかについてが多かったように思う。先生もそういうのをできるだけ突っ込みやすいそういうのを望んでいたんじゃないかなと思ったりもする。

そんな中、当たり前のように中学しもだが提出したのはまったく周りや環境のことなど無視した内内の、自分の精神の主張であった。

(説得力のない話をするけど、中学時代の私のことを私は大嫌いであり、黒いかさかさした歴史であり、反面教師でもある。

でも、多分今弁論書けって言われても環境問題とか両親・友達への感謝とか書かねえだろうな!!というのは一緒だったので、腹が立つけど根本はもちろんのこと変わってないということなんだなと思う。)

そのとき書いた弁論のタイトルは、『ポジティブなネガティブ』。

ということで、過去の自分のことを思い返しながら、今の自分なりに噛み砕きながらこのタイトル的主張を手短にしてみようというのが今回のブログ。手短です。なんてったって恥ずかしいから。

先に言っとくと、全くもって目新しい話ではない。でもなんとなく、書き換えて、軽く残す。

中学生の頃、私は精神科に何度か通ったことがあった。

通ったきっかけは理科の実験に使うガスバーナーが恐くって、授業を別室で受けたこと。

でもその根本としては、「死ぬことへの恐怖」が原因としてある。地震とか津波とか原発とか朝起きたら車のトランクに閉じ込められてるんじゃないかとか、そういう恐いことをいっぱい考えては呼吸を乱したり、眠れなくなったりした。

昔から怖い話は大好きだったけど、「死」だけはずっとずっとこわかった。

そんな、小さい頃のモザイク有りで変死体の写真を流していたテレビニュースに数か月怯え、

それが収まった頃、地震が来たらこうなる!的特番でまた怯え……なんてことを繰り返していた中学生の私にとって、「ポジティブなネガティブ」こそ、荒削りながらも救世主的思考変換だった。

ポジティブなネガティブとは、以下の例のようなこと。

「今大地震が起きて死んだらどうしよう」→「私だけじゃなく皆死ぬから大丈夫」

「私が寝ている間に人質にとられたらどうしよう」→「身代金を取ろうとするからしばらく殺されないし、なんかなんとかなる」

馬鹿でしょ?

でも、これ、なんだか効いた。脳内で不安で仕方ない自分を、超理論で言い負かせばいいんです。

ネガティブの筋が通った思考を、ちょっとだけ浮かせてあげる、それだけ。

今現在、「死」が恐くて震えることは滅多になくなった。最後にあったのは2011年の大地震の後に少し、くらいだったか。

ポジティブな人間になったとかではない。くだらないことで数分後・数日後に悩むし、未来なんて明るく見えたことないし。ただほんの少しだけ、大人になったというよりは「突然自分が死んだら」ということを考え込む思考結果が適当になったというだけだと思う。

でもそんな中、ポジティブなネガティブ思想自体は未だによく使っているな、と気付く。

「明日の仕事うまくいく気がしない嫌だ……でも失敗しても明日生きてるんだったらまあいいか」

なんだかちょっと改変されながら、無意識に。