即興小説トレーニング
2015/1/28 お題:たった一つの罰 制限時間:2時間 文字数:2408字
イチョウの葉が落ち始める季節になると、木沼先生のことを思い出す。
紫がかった空には、誰かの頭の中から取り出してきたかのような決まった形のぬるい雲が浮かび、教室は自然光だけに照らされて薄暗い。
「ガクセイって、嫌いなのよ。自分が昔ガクセイだったと思うと、寒気がするくらい」
木沼先生は顎に中指を擦り付けるような姿で、学生をガクセイ、と発音した。私と寛治に言う。
放課後の薄暗さの中で、女性の中指に色を感じたのは高校生である私にとって初めての経験だった。
教育実習生というのは、歳も近く、教師というよりは寧ろ転校生と似ているところがある。木沼先生は九月に高校二年生の私のクラスにやってきた。薄い化粧に、鎖骨まである柔らかい髪を後ろでいつも同じ位置に結っており、緑黄色のロングスカートを履いていた。木沼玲子という人間は、そのように決まったルールを持っていつも存在していた。しかし、いつもいつも、同じ人間ではないような気がした。視界の端に見えるその顔はぼやけ、別の人間が毎日同じ格好で校舎に入り込んでいる、と言われたとしても納得がいったと思う。
「じゃあ、先生なんで教師になったん?」
それはねえ、と垂れるように舌を一度思い切り出してからすぐに引っ込め、
「学ぶ生徒と書いてガクセイが、学ばせられてる生徒になるなら、いいかなと思ったの。大嫌いなものが、思春期の半端な過程で、私の影響を多大に受けていく。そして大人になってもたまに私のことをふと思い出したりなんかして。そんな想像をしたら、悪くないなって思ったのよね」
いつも同じ顔をしていない木沼先生というのは外側の話で、彼女にはしっかりと構築されたブレのない内側というものがあった。その内側へと繋がるトンネルの入り口は、放課後のその暗い教室の中でだけ、ぱっくりと開いた。私と、親友の寛治はそのひやりとしつつも生暖かい内部を好み、二人して遅くまで木沼先生を捕まえては、話した。話したといっても、それは大体は浮かんでは消え、消えては浮かぶ泡の連続のようなものだったが、木沼先生がガクセイを嫌い、という話を始めたそのときは、修学旅行の夜に話したクラスメイトとの秘話とは比べ物にならぬ、密やかでエロティシズムな風を孕んでいた。
「先生、ドSってやつやん」
「こっえー、変態」
「ああ、あなたたちみたいな年頃って、すぐそういうこと言うわよね、単純で、平坦。連立方程式でも解いてるのが一番似合うわよ」
木沼先生の返し言葉はどれも、私たちガクセイには意味を理解するのは難しかった。暖簾に腕押し、くらいのジャブにも関わらず、私たちは火に油を注がれたような心地だけを持って、喧嘩腰になるのだった。
「じゃあじゃあ、木沼先生のこと、俺ら絶対忘れちゃるっけえ」
「そや。残念やったなあ」
子ども特有の甲高い笑い声を重ねて、俺と寛治が顔を見合わせる。木沼先生はしばらくそれを見ていたが、ふと、思い立ったように腰かけていた机から立ち上がった。
「忘れるってことにも、存在が伴うっていうのはもう授業で習った?」
木沼先生はそう言ったが、私と寛治はまだ笑っていた。窓を背にした木沼先生に、真っ黒な影が落ちる。
「忘れてくれてもいいけど、私はまだあなたたちを教育できてないから、それだけは残念かな。生まれ変わって、もっと良い教師にでもなるね」
「まだしゃべっとるで」
私はふざけて指で銃をつきつけるような仕草をして、ばん、と小さく呟いた。途端、木沼先生の目のあたりが真っ白く透き通り、そのまま目から顔、顔から首、とぐんぐん穴が開いていった。身体が波紋のように陥没していき、あ、っと思った時にはその後ろにあった窓越しの、薄紫色の景色だけが視界に残っていた。最後に見た木沼先生は、霧や靄のような掴み取れなさよりは、雪にだんだんと埋もれていく落ち葉のような姿に近かったように思う。口元は間違いなく、微笑んでいた。
「消えた」と寛治が斜め後ろから漏らした。
しかし私は違う、と思っていた。消えたのではない。私が消したのだ。
私たちは一時間をプレスで強引に縮めたような、何処かからせかされているようで落ち着かない時間を、その薄紫色の中で過ごした。だんだんと黒くなっていったが、どうしても電気を点ける気にはなれなかった。
ロッカーは勿論、机の引き出しもトイレの便器も全て開けてみたものの、木沼先生はどこにもいなかった。恐ろしくなった寛治が、「帰ろう、はやく帰ろう」と急かした。私もだんだんと足が震え、二人で逃げるように校門を抜けた。
次の日高校に行ってもやっぱり木沼先生はいなかった。居たけれど居なくなったのではなく、最初から居なかった人になっていた。忘れようとして消したあの人のことを、一番覚えているのは私だ。寛治は結局それ以来少し何かがとんでしまって、病室の壁にきぬま、きえた、きぬま、と今も囁き続けているらしい、と同窓会で聞いた。
木沼先生を消してしまったことを思い出すことが、木沼先生を思い出すことになった。しかしその度に、あの日のことを忘れている自分が何時間か何日か、存在することを知る。そんなとき、木沼先生が言った忘れることに伴う存在、という言葉のことを考える。
木沼先生にたった一つだけ与えられた罰に気付いた頃、私はもうすっかり甲高い笑い声は出せないくらいには歳をとっており、妻も娘もできていた。ふと、娘が生まれたことで、罰が生まれたのかもしれないと思う。その、存在を知る罰を。
娘はビー玉を指先で転がすのが好きだ。床とこすれて、つぁらつぁらと硝子の泣くような声がする。私はそれを見て、あれは木沼先生の目玉なのではないかと思うときがある。名を呼ぶと、娘はこちらを振り返る。最近ようやく、自身にその名がついていることを理解しはじめた。つぁらつぁら、と、私に向かって二つのビー玉が呼びかけたような気がして、人差し指をそっと隠した。