タイムマシンが仮にできたとして、一日遡るために一日の転送時間が必要だとしたらどうだろう。
若い頃に戻りたい、十五年前の学生だったころに……と思ったとして、戻るために十五年かかる。乗り込んで、転送中の時間に色んなことを考えて、やっぱり止めようと思ってももう止められなくって、時空の裂け目に飛び込んで、何者でもなくなったりする。どうしても未来的装置にはリスクを考えたくなる性質。そう言っても一日、二日前の失敗だったら結構手軽にやるんだろうなあ。
あ、未来行きのタイムマシンがまだなかったら。さらに迷うのかもしれない。一日前に戻るために一日かかり、そこから明日に向かうためには三日かかる、ということ。自分の寿命において、過ごす予定の明日を数日削ってまで過去に行くかどうか。
という選択を、特に日本人に問いかけてみたい。
何故ならタイムイズマネー、という言葉を日本人だけが別の解釈で捉えているらしいからだ。
本来は「時間=お金」であり、「時間を有効に使えばよりお金が稼げる」という本意があるが、
日本ではいつの間にやら「時間>お金」とされ、「時間はお金にかえられない」と訳す人が多いのだそう。
みたいなことを、多和田葉子の『海に落とした名前』を読みながらなぜか考えていた。特にそういう話ではありません。
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