日々霜

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自分が気に入らないものを批判する人と、嫌なら見るなという人について

表題の件ですが、まあ単純に例えると、例えば芸人がブレイクして色んな番組に出るようになったとき、「全然面白くない!早くテレビから消えろ!」って言うアンチがほぼ確実に現れるじゃないですか。
そして、それに対してファンの人が「お前の感性がずれてんだよ!嫌なら見なければいいだろ!」とか擁護したりして。
 
そういう流れを、ネットでは死ぬほど見てきたし、野次馬根性でわりと見入っちゃうことがあるんですけど、
私はいつもそのやり取りを見て、「自分はどっち派なのだろう?」と考えてしまうことがあって。
過去にもちょこちょこ似たようなこと書いた記 憶もあるんですけど、今回は「どっち派?」に対する答えみたいなのを自分の中で整理したくて書きます。
 
論文っぽく先に結論を書きますけど、
「どっちも有りだしどっちも嫌い、でも、ケースに合わせて人はどっちかに寄っていく」です。
何も結論になっていないじゃんハゲ、と言われても、まあハゲではないんですけど、仕方ないですよね。当たり前すぎることを当たり前に言うんですけど、人って何事にもフラットにはなれないんですよね。特に私みたいに天邪鬼の生まれ変わりなんじゃないかと疑われるような、気まぐれの典型で、捻くれ過ぎてこじらせ女子とか言ってる場合じゃない人間もいるわけだし。今日好きだと思ったものを明日には批判したくなってるかもしれないし。
そう、なので 「批判したい」というのと、「好き勝手に言いたい」というのって同じだと思うんです。だから、最初にあげた芸人の例で言うと、「私はこの芸人が面白くない!」「私はこの芸人が面白い」と思って批判したり主張したりすることに関して私は賛成なんです。

でも、「お前は面白くないからテレビ出るな」「お前の感性がおかしい」をそれぞれ相手本人に伝えて存在を否定することに関しては反対なんです。
理由は二点あって、まず一点目としてそれに対してあまり興味がない。今なんてこうやってブログとかツイッターとか、自分の意見を直接ぶつけずに晒すことができるのだから、それでいいじゃんって思えてしまうんです。
ただ独り言じゃなくて、話すのもちゃんと好きなんです。全体に発信したと き、それに対してコメントが来たら直接話すことになると思うんですが、それは全然嫌じゃない。後、お互いの意見を真っ向から否定するのではなく、聞いた上で「私は違う」と言い合えるような所謂議論は好きです。

ということで反対する二点目の理由としては、自分の意見を相手に押し付けたくないから。「お前は面白くないからテレビ出るな」「お前の感性がおかしい」では、相手に直接「お前が間違っているんだからお前が消えろ」と言っちゃっているのが駄目なんです。自分が一番正しいと思い込んでるのは別に構わないんだけど、それを、自分と真反対のこと言ってる相手に向かって「自分が正しい!」とぶつけちゃうっていうのがもうアレルギーレベルで駄目。
 
後ちょっと話は変わるんだけ ど、一応世の中には定義とか常識ってものがあって、でもそれも時代の流れとか新しい波とかで変わったりするわけじゃないですか。だからこそ、「そんなの○○じゃねーし!」みたいな意見も、「お前にとってはな」と思ってしまう自分本位案件で。
今年でいうとキングオブコントにゃんこスターが、「コントじゃない」とか意見が上がったわけですけど、「いや、お前にとってはな!? お前の考えではな!?」と強く思いました。後「お笑いなめてる」って意見もあったんですけど、それに対しては、同業の人が怒るならまあいいんだけど、素人が芸人に対して「お笑いなめてる」って。「お前にとってはな」過ぎて目もあてられなくなりました。
 
ただ、もう一つの主張として、「嫌なら見るな」 にもあんまり賛成じゃないんです。私自身は「嫌でも見る」だし、自己満足に垂れ流している以上何か言われる可能性はあるよなと思うので、「自分が好きにやってるだけなんで批判とかいりません」って言いながら好き勝手危ないことでもなんでも垂れ流す人は責任を逃れ続けることはできないかなとも思う。
一方、過激な発言をしていたことを理由に、その人が理不尽な災難にあったときに「お前がそんな人間だからだ」とか過去の発言を持ち出すのも感情的過ぎるなーって、最近のセクハラカミングアウト系の記事を読んでて思いました。
後、「嫌だから見たくないから」っていう理由で完全に潰そうとしてくる人も厄介。ニコニコ動画YouTubeで配信とかしてる人を、自分の好みじゃないからという理由 だけで追い詰めて配信自体をやめさせようとしたり邪魔したりとか。どうしてそんなにエネルギーがあるんだ? 疑問である。
それに付随した話なんですけど、自由だ自由だと思いつつ、結局のところ多数派が偉かったりするじゃないですかこの世の中。でもそれだけじゃつまんないし、多数派のときもあれば少数派のときもある、っていう人が大半だと思うんです。それなのに少数派になるたびに意見を潰されるような機会がありまくって、そのくせ多数派になっていたらなっていたで「今の若者は人にあわせすぎる」とか言われるんだからマジクレイジーなんです。重症です。

そして今例えたような、多数派にあわせちゃうのも、皆にあわせすぎるなって言うのも、ただの意見の相違なんだから、別にどっちが悪いとか、 誰が批判するようなことじゃないんです。でもそういう、誰が批判するようなことじゃないことを批判する人がいてもいいんです。ループしてしまうけど、つまり、自由にやってくれるのが一番良いよなって。
 
ということで、色んなことを思って色んなことを言う人がこれからもいっぱいいてほしいなって、思います。
もっとこうなってほしいという部分はありつつ、まあ、基本的には変わらず。以上。