日々霜

本とかゲームとか雑記とか小説とか。好き勝手。

何が書きたくて何が書きたくないのかわからない

日常的に何かを書きたい、と思うし、書いたからには公開するか、と思うし、実際に公開している。
正直公開したくないものもいっぱいあるんだけど、えいやっと勢いで公開している。今日のこれもそうである。

というのも、週に一回何かしらの文章を書いて何かしらの媒体で投稿するというゆるっとした自分ルールがあるからである。ていうかこのルール、作ってから、気付くと半年以上が経過していたっぽい。律儀に守ってるんでしたっけ、それとも守ってないんでしたっけ……いや多分守ってます。多分。で、先週分を今急いで投稿しなきゃな、と思って、「おはよう」ツイートとそんなに変わらないくらいの雑文を投げようとしているだけです。


そもそもこの週一ルール、なんで始めたんだっけ、と思ったんだけど、多分、「もっと書いて」と友人やらネットやらで、ネタかもしれないけどすらっと言ってもらったのが刺さってしまったのと、一応仕事柄よく何らかの文章を綴っているんだけど、それと趣味とは別だから、というなんかよくわからない修行的なやつなんだと思う。修行っぽくはないけど。

文章がうまいわけでもないし、誰にも需要がないかもしれないけど公開してしまうのは、公開しないとそれこそ後悔しそうだからかもしれない。いや、公開しても後悔することもあるので、これは矛盾なんだけど。

公開したくないけど公開するし、さらに言うなら、書きたくないけど書いているものもあるし、書きたいけど書いてないものもある。
後、タイトルの「何が書きたくて何が書きたくないのかわからない」に尽きるところ、あります。ここ十数年くらいずーっとそう。

雑記、小説、本や映画や動画やゲームなどの感想文、とか、いつも思いつきで綴っているけれど、最初は「書きたい」とか「書こう」と少なからず思ったからこそ書き始めたはずなのに、途中から「やっぱり書きたくないな」と思いながらも「でも書こう」となることよくある。というか最近大体そんな感じ。週に一回書かなきゃいけないから、というのもあるのかもしれないけど。

 

でも書きたくないことを文章にするのは、必要だと思ってる。何かを書いて文章にしてみるのは、小説の場合でも雑記の場合でも、自分の心の中の整理作業に近いと思う。考えたくないことほど人は考えてしまうし、もうこれ以上考えたくない、と思いつつもやっぱり考えてしまうほど囚われてるというのなら、せっかくだから文章にしたい。
心の声は自分の中の内の自分にしかはっきりと聞こえないし、気付いたら消えてしまうことがあるから、とりあえずなんでも文章にぶつけてみる。その後に拾い上げて、もう少しまとめてみたり、逆に下書きにぶちこんで数年放置したりする。でもまあそれはどっちでもよくて、そのとき自分が何を考えたのか記録できているのがちょっと安心するんだな~多分。

 

文章文章言ってるけど、人に話すために言葉にして口に出すのもそう。口に出してから、「あ~、自分はこんなこと思っていたのか」と納得する。口に出すのと文章にするのでは、そのときどきで今日は口の方がうまくいった、今日は文章の方がうまくいった、と成果が違ってくる。

ただこのご時世、人と話す機会が減っていくので(元々友人があまりいないからあれだけど)、このままだと口にして発する能力がどんどん衰えるのではないかと危惧もしていたり。

と、うだうだ言っているけれど、何かを習慣付けしていないと、何かができなくなっていくのが恐いから、口に出すのも文章を書くのも辞めないようにしていきたい。という何気ない叫びを、やっぱり公開したくないけど、後悔もしたくないので、公開して留めておくことにする。