日々霜

本とかゲームとか雑記とか小説とか。好き勝手。

嫉妬はバフであり、アタックではない

 


最近、同人女のお気持ち構文(と勝手に呼んでる)をめっちゃ読んでいる気がする。

多分おけけパワー中島(おけパ中)あたりで爆発して、最近の32歳腐女子でさらに活気が出てきた。

 

 

 

私自身、お気持ち構文を読むのが元々好きなんだと思う。

同人板の神やめスレとか友やめスレとか民草の独り言スレとか、やたらログを漁っていた時期があったし、はてな匿名も大好きである。

別に摂取したところで何か起きるというわけではないのだけど、今のSNSの状況を見ればわかるように、お気持ち構文はまた別のお気持ち構文を呼び、ネット上が感情の羅列だらけになる。なんだか、あの流れ自体が結構好き。なんてったって、普段表に出さないけど同人女であればやたら覚えのある(と個人的には思う)「微妙な気持ち」が露骨に吐露されるのがいい。特徴として、自分だけではなく他人を思い切り巻き込んだ感情文というのがいいのだと思う。さらに言うなら、他人を巻き込んではいるけど、自分の中で自己完結してるのがいい。

 


おけパ中、のマンガシリーズを読んだときの衝撃は凄かった。前述したように同人女のお気持ち構文というものは以前から至るところに存在していた。でも、それが創作漫画の題材として使われているというのは「新しさ」を感じたし、絵という視覚的に入りやすい媒体で扱われたことによって、これまでお気持ち構文に興味を示してこなかったり意識していなかったりした人にも思いっきり刺さってしまい、今に至るのではないかと想像している。

おけパ中の登場人物たちの良いところは、おけパ中への嫉妬心やどうしようもない神への偏愛に一人でもだもだした結果、自身の創作意欲に昇華していくところだな〜としみじみ思う。

 

石油王でもなければ芸能人でもないので、見下されている、と感じることはあっても、生きてて「誰かから嫉妬されている」と感じることってほぼないと思う。でも嫉妬って実はすごくちょっとしたことで起きやすいんだよなーとも思うので侮れない。自分が何に嫉妬するかどうかだって嫉妬してからでないとわからないし、自分の何が嫉妬されるかもわからないの、不思議。

ただ、なんせ嫉妬は色んな作用を起こしやすい感情なので、おけパ中の件のように昇華して自分のレベルアップを図れる人よりも、悔しさや敗北感で何もできなくなる人、嫉妬心を攻撃意識に変えて誰かを傷つける人の方が多い。特に後者の攻撃型の人は本当に勝手な考え方だと感じる、というところからタイトルに繋がる。

 


嫉妬はバフではあり、アタックではない。

「自分が相手に嫉妬していること」は相手にとって全く関係ないのである。しかし、それを相手にぶつけてしまう人は少なからずいる。そういうのを見ると、いつから自分が被害者だと錯覚していた? となる。

そもそもその人の嫉妬物語って、その人の中でしか発生してなくって、被害者どころか関係すらもしてない。本人の脳内では重要登場人物であっても、実際にはあんた誰? みたいなこと、よくある。嫉妬している相手は神様でも聖人でもなくてただの人なのに、自分の感情を盾にも矛にして、相手を傷付けるのはなんとも酷い。

だから、これはやたら何回も言ってるけど「時をかける少女」のこうすけに憧れてる後輩ちゃんとその友人が真琴を責めるシーンめちゃくちゃ地雷で、「うるせ~~しらね~~!!!」を貫きたいんですよね。急にめっちゃ細かすぎて伝わらない話になってしまったけど。


というところでお気持ち構文の話に戻るんだけど、自分自身が誰かを傷付けようとは思わないし誰かに傷付けられたくもないんだけど、何かで傷付いて、なんとか自分の言葉で感情に整理をつけようとしている人の文章は結構好きなんですよね。だからお気持ち構文読むの好きなのかもしれない。お気持ち構文書いてる人は、その対象本人ではなく基本的には文章に独り言としてぶつけているのが、良いよな〜。

 

嫉妬というのは基本的に醜いんだけど、美しく見える角度もあるし、美しくできる力がある人は、それこそ次は誰かの嫉妬の対象になる力を秘めてるのかもしれない。なんせ、バフだから。

などとやたら客観視してるけど、私も明日急にめちゃくちゃ嫉妬するかもしれないな、誰かに。ただ、そのときちゃんとバフにできるかの自信はないのであった。